わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

デザインシンキングとは何か

デザインシンキングの素人が、デザインシンキングについて思うところを書いてみる。

 

前回のエントリーで、『ロジカルシンキングの限界』について書いた。ロジカルシンキングは、プロダクトやサービス開発には向かず、その理由は「共感」をうまく扱えないためだと考えている。

 

この問題を克服しようとする、別の思考法がデザインシンキングだ。デザインシンキングはまさに(ユーザーとの)共感に主眼を置いており、プロダクト/サービス開発のための思考法といっても過言ではないだろう。

 

デザインシンキングが具体的に何かは少し後で述べるとして、デザインシンキングには、重要な前提事項(≒その思考法が成立するための前提条件)があるように思う。つまり:

  • プロダクト・サービスを開発するには、「ユーザーの熱狂」をひたすら追うべき

という考えにのっとっている。万人ウケを狙うのではなく、ごく少数でもよいので、ユーザーが熱狂するものを作ることがプロダクト・サービス開発の第一歩であり、それができればそのプロダクト・サービスは自然と成功する、という事である。この考え方自体はスタートアップ界隈でもよく言われることで、比較的すんなりと受け入れられるだろう。

 

この前提となる考えに基づき、デザインシンキングは、共感を扱えるようにするために、「ある特定の(極論、N=1の)ユーザーに注目し、仮説立案・検証を深める思考法」だと理解している。まずはユーザーの行動を、その人物に共感できるほどにつぶさに観察し、解決すべき課題を特定する。そして解決の方法をブレインストーミングといった手法を用いながら洗い出し、仮説ができたら簡単なプロトタイプを作りながら仮説をブラッシュアップし、実際にユーザーに使ってもらってフィードバックを得て、さらにブラッシュアップを繰り返す、といったプロセスを踏む。そのプロセス自体は時と場合によって変わるだろうし、またそこで用いられる手法も色々なのだろうが、根底には常に「ユーザーとの共感」を維持しながら考えを深めるという思想が貫かれており、そういう意味でデザインシンキングとは思考法というよりは、そういう姿勢で問題解決に臨むというマインドセットに近いものなのかもしれない。

 

しかしながらこのデザインシンキングも、外部コンサルがクライアントに実践しようとしている場面に何回か同席したことがあるが、課題が多いように感じる:

  • 高度にデザインシンキングを身に着けている人物がまだ日本に少ない
  • (ユーザーの共感は得られても)社内稟議という観点で、社内からの共感を得にくい
  • 諸々の手法が日本人には向かない

 

1点目は本質的な問題なのだが、高度にデザインシンキングを理解し、実践できている人物が日本にまだほとんどいないのではないか?IDEOなど、その道で有名なコンサルが仕切るセッションにも参加したことが何度かあるのだが、正直、N=2~3に対し深堀インタビューをして、無理くり課題を見つけて結論(しかも、あさーいやつ)を何となく導き出している、「お遊戯」みたいな印象しかない。共感をベースに、解決すべき課題を見つけるという、実に高度な知的作業を、クライアントからお金をもらってできるレベルでこなせる人材に残念ながら未だ出会ったことがない。

 

2点目は、形を変えて色々な場面で見られる現象かもしれないが、デザインシンキングを用いて仮説を検証していっても、結局本格的なプロダクトを作るときに社内稟議が必要で、そのGo/No go判断を下す経営陣がデザインシンキングに全く理解がないから、内容が薄い企画書にうつってしまい、Goが出ないケースが多い、というものだ。典型的には「N=1を深く理解したのはいいけど、これ一般的なの?この人が特殊なんじゃないの?」みたいな一見最もな質問を投げられて、うまく答えられる終わるか、もっと広く調査しよう見たいになって、さらにコンサルに金を払うか。

 

そして、3点目は致命的なのだが、デザインシンキングに用いられる手法は日本人には非常に不向きだと感じざるを得ない。ポストイットをぺたぺた貼るブレインストーミングも、プロトタイプを作ってクイックにフィードバックループを回す手法も、物静かで受け身な日本人の性格に実に合わない。結局、だれもリーダーシップをとらないから、「皆の意見を取り入れよう」となって、よくわからない機能がたくさんのったプロダクトができるのがオチとなる。ちなみに最近電車の中でよく見るノートパソコンのCMで(確かレッツノートか)、ありとあらゆる接続口を実装して「充実したインターフェース」とうたっているのを見て、これぞThe Japaneseものづくりだ、と感じた。おそらくこのノートパソコンの企画会議でも、「VGAHDMIもすべてないと不便じゃん」みたいな意見があって、だれも否定できずにそうなってしまったのだと想像する。お粗末である。