わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

マッキンゼーとBCGは何が違うのか(その3-性善説か性悪説か)

マッキンゼー性善説に基づいて、BCGは性悪説に基づいて運営されている。どちらも一長一短あれど、それぞれの組織戦略に沿って最適化された結果であるが、性悪説で育った人間から見ると、マッキンゼーには衝撃的な風景が広がっているのである

 

以前のエントリーで、マッキンゼーとBCGでは組織の進化のレベルに差があり、またお財布の場所も違いを生み出すドライバーになっていると考察した。特に、組織の「Why」の定義が、マッキンゼーとBCGで異なり、マッキンゼーは本質的には「グローバルリーダーを育てる事」を意識している一方で、BCGはどこまで行っても「コンサル事業をうまく行う事」に主眼がある。この見方には色々賛否両論があるかもしれないが、少なくともこう考えると、自分が体験した、なぜマッキンゼーはBCGとこんなにも違うように感じられるのか、を全てうまく説明できるのである。以降のエントリーでは、なぜそのような見方に至ったのか、言い換えれば、それらが現実的にはどのような違いになって表れているのかを、具体例をもって解説してみたい。

 

まずは些細なエピソードから。これはマッキンゼーに入社して、まさにDay1に自らに起こった小さな出来事である。

 

入社当日、色々なOn boardingプロセスをこなす中で、早速自分のパソコンとスマホを受け取り、その日の夜にWelcome Dinnerが催されることを把握した。

 

BCGで5年近く、傭兵として育てられ、プロフェッショナルファームにまた戻ってきた自分は、忘れかけていたプロフェッショナリズムを思い起こしつつ、「これは最初の地雷だ」と察する。

 

ポイントは、下記2点:

  • PCをすでに受け取って、自分が管理責任を負っている事
  • Welcome Dinnerでは恐らくお酒がふるまわれると想像される事

 

プロフェッショナルファームでなくても同じかと思うが、会社のPCをなくすことは致命的であり、それは自分のクビに直結する。ましてやお酒に酔ってなくした、などとなれば弁明の余地も何もなく、プロフェッショナル失格である。なので、こういった場面でのリスク管理が地味に重要になるのだ。

 

これは対策を練らねばと、フェムト秒で思考を回した結果、自分の選択肢は大まかに3つあるとの結論に:

  1. 何も考えず、PCをもってディナーに参加し、お酒を飲む
  2. PCをもってディナーに参加するが、お酒を飲まないようにする
  3. PCを会社において、ディナーに参加し、必要ならそのあと戻ってピックアップする

 

まず(1)は、「自分は酔わない」という自信をよりどころとしており、最もリスキーなので却下。(2)はなくはないが、外様の自分はお酒の力を借りて少しでもまわりの人に溶け込みたいので、望ましくない。

 

BCG的考え方ではこれは間違いなく(3)だなと考え、社内に割り当てられたロッカーを見に行ったら、なんと「鍵が付いていない」のである。繰り返す、「鍵が付いて・い・な・い」のだ。

 

これはBCGの感覚から言うと衝撃的な事だった。BCGではDay1に自己責任の概念を教わり、「たとえ(万が一)会社があなたに不利な事をしても自己責任と捉えよ」と叩き込まれるのである。会社の中でも油断はできず、パソコンを長時間自分の手元から離すことは想像したこともなく、当然ロッカーには(ちゃんとかけているかどうかは別として)鍵があった(東京でもボストンでも、である)。

 

軽いパニックを覚えつつ、どうしようかなと考えた挙句、まあ選択肢は(2)しかないかと思い、PCをもってDinnerに参加し、グラスにワインを注いでもらったがほぼ飲まないという形で、食事と談笑を楽しんだのであった。

 

このエピソードを後日、マッキンゼーで同じチームになった同僚に話したところ、大笑いされた。

曰く

「いや、せっかくのDinnerで、そんな酔いつぶれるほど飲むこともないわけだから、普通に楽しめばいいじゃん」

いやいや、でもPCなくすの怖いから、というと、

「そんなに心配なら、じゃあ会社のロッカーとか、その辺の(フリーアドレスの)デスクにおいておけばよかったのに、、、」

いやいや、でもPCを社内の人にとられても自己責任になるじゃないか、というと

「笑、社内の人間がそんな悪い事するわけないじゃん。仮にされたとしたら、それはしたその人間の責任。君の責任じゃないよ」

とあっけらかんと言われたのである。

 

「社内の人間がそんな悪いことをするわけない」、という、まさにこのやり取り自体が衝撃的なわけである。それでも、その時プロフェッショナルとして最大限配慮した対応をしたはずだと思っていた自分は、その後しばらくの間この対話の意味すら十分理解できなかったが、つぶさに組織を見渡すと、そもそもマッキンゼーとBCGで組織運営のされ方が根本的に異なる事に気が付いた。これが「組織の進化のレベルが異なる」という考察につながっている。

 

すなわち、マッキンゼーはあくまでValuesと呼ばれる価値・行動規範ベースで運営されている組織であり、そこにいる人たちは同じValuesを共有している「仲間」であり、ライバルや敵といった存在ではないのである。一度入社してきたものは、そのValuesを十分理解しているという大前提のもと、仲間として信頼されるのである。いや、信頼することにしているのである。その信頼を裏切らまいと、努力をして徐々に溶け込んでいくといった感覚なのかもしれない。「マッキンゼー・マフィア」などとたまに揶揄されるが、マフィア並みにファミリーに近いつながりを組織に感じられるのは、マッキンゼーならではなのだ。

 

これは文字にすると些細なことに様に感じられるかもしれないが、オレンジ組織であるBCGとは全く異なっている。BCGでは社内でも同期は仲間ではあるがライバルでもあり、どこか常にCompetitorとして意識させられる。BCGから来た人間からすると、すべてが別世界に感じられるわけである。オレンジとグリーンで組織はこんなにも異なるのか、とこれ自体、非常に貴重な経験をしたと思う。

 

誤解のないよう明記をしておくと、マッキンゼーの組織運営の方が素晴らしいという事を言いたいわけではない。Valuesに基づく運営はリスクもある。例えばValuesを理解していると信頼した仲間に、仮に悪意をもった人間が混じってしまった場合、大きなスキャンダルに繋がりうる。(しかしその自浄作用は外部の人間が想像するよりはるかに強力で早い)

 

またBCGの組織運営を非難したいわけでもない。先に書いたように、「コンサル事業をひたすらうまくやることに特化したコンサル企業(=BCG)」としては、オレンジ組織の方が社員が切磋琢磨して、ラストマンシップをもった傭兵を育てやすいのだ。

 

ただ、「違う」、著しく見える風景が違うのだ、という事を伝えたい。私個人はマッキンゼーの空気の方がはるかにあっており、ものすごくその思想にしっくり馴染めたが、最初は本当に衝撃的だった。「なぜコンサルファームなのに社内にこんな空気がながれているんだ」、「これはなんなんだ」と理解不能だったが、理解でき始めるとすべてがしっくりきた。なるほど!と感嘆してしまう、そんな瞬間があったのだ。