わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

新卒でコンサルを目指す人は院なんか行くな

最近ある学生さんから相談を受けた。曰く、「コンサルに興味があるが、大学院に行くべきか迷っている」と。

 

人生の選択に答えはなく、自分が選んだ道が答えである。だから人生は面白い。これは何度も書いていることである。ただ、自分の中では前述の問いに対する答えは明白である。「コンサルに興味があるなら、学士とったらすぐ入社すべき。大学院なんかにはいくな」である。

 

そういう自分は発生遺伝学の分野でPh.D.を持っている。わざわざアメリカまで取りに行ったわけだが、自分の場合、恥ずかしながら大学院を卒業する直前までそもそもMcKinseyの名前も知らなかった。Ph.D.はよく「足の裏の米粒のようなものだ」と言われる。とらないと気になるが、とっても大したことはない、という意味だ。それはもっともで、確かに取得しても何の意味もないが、個人的には人生の一部の時間を生命の世界を探求することにあて、論文を残せた事、そしてその世界に人生を賭している科学者の背中を見れたことはとても有意義であったと思う。

 

が、それは、すべてコンサルで数年修業した後、でもよかった。いや、むしろその方が確実に良かった。コンサルで実際のビジネスの超難問を通じて問題の解決の仕方や、仮説思考を磨き、いかに早く答えにたどり着くかをある程度体感・実践してから大学院に行ったほうが、学位も早く取れるだろうし、より広い視野でその分野を眺めることができ有意義だと思う。実際にMcKinseyやBCGを数年で卒業し、学んだスキルを活かして、本来5年はかかる学位を3年程度で取得して、その後バリバリ活躍している人はたくさんいる。最近では卒業しなくても、つまり会社を辞めなくても、会社が(MBAではない)色々な学位の取得を支援してくれたりする。

 

大学院に興味を持ちつつ、学卒でコンサルに入って、仮にそのまま仕事が面白くなって昇進していくと20台後半や30代前半でパートナーになったりする。それはそれでまた色々な選択肢が開けて、まったくもって悪いことではない。

 

また、日本人は中途半端に大学院を出て「修士」を名乗ったりするが、例えば自分がPh.D.を取得した生物学の世界では、修士Ph.Dをとれなかったものに与えられる「恥ずかしい学位」、「努力賞」のようなものであって、持っていてもそれこそ何の意味もない(実際に自分がいたロックフェラー大学は、Ph.D.コースしかなかったが、3年以上努力して研究に目がでず、ドロップアウトせざるを得なかった人間に、例外的に修士号を与えていた)。そんなものを金をかけてとるくらいなら、コンサル会社で働きながら超難問を解いて、スキルを磨いたほうが面白いに決まっている。そしてとりたければいつでも学位を取りに行き、戻りたければまたいつでもコンサル会社に戻ればいいのである。