わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

日本人の労働観が変わってきているのではないか

日本人の労働観が、ここ5年程で大きく変わってきているように感じている。全体的には、「思考停止」や「あきらめ」といった悪い方向に。ただ、ごく一部の人は同じ状況に対し、「挑戦」という前向きな姿勢で臨んでいる。

 

自分の中でまだあまりクリスタライズされていないものをブログに書くのは気が引ける。自分の頭の中ですらクリスタライズできていないものを、文章がさほどうまくない自分が書くと、結局何を書いているかわからない事になりそうで。ただ、これはある意味今しか書けない事なので、書き留めておこう。

 

昨日、日本人とアメリカ人の最大の違いは労働観だと書いた内容に対し、djshunさんからコメントを頂いた(本当にありがとうございます!)。それを見て、はっと、数か月前に読んだ記事を思い出すと同時に、特にここ1~2年ほど、日本人の労働観が変わってきているのではないか、と仮説立てていたことを思い出した。

 

自分の中で、ざっくりと労働人口は以下のように区分けされている(ここらあたりから全く思考がまとまっていない):

  1. ぶっ飛んだ人
  2. 超エリート
  3. 優秀な人
  4. 普通の人・凡人
  5. これまたある意味ぶっ飛んだ人

(1)のぶっ飛んだ人は、ソフトバンクの孫さんみたいなイメージの人。並外れた行動力と普通の人には理解できない思考で、起業しちゃったり、海外に脱出してたくましく生活できたりする人。(2)の超エリートは、マッキンゼーにいるようなキラキラ系の人材で、ハーバード大学でてMBAとって、お父さんは商社の社長です、みたいな人。(3)の優秀な人は、東大やら日本の優秀とされる大学を出て、立派とされている企業(トヨタとかドコモとか)に勤めている人々。(4)は(1)~(3)に該当しない、ごく一般的なサラリーマン。(5)はマツコの「月曜から夜更かし」のインタビューによく登場する、歯がないような人々。

 

前述の労働観の変化は、(3)、(4)の層に顕著にみられ、また(2)の一部の人にも浸食し始めている。その変化の本質的な原因は「日本全体が経済的に貧しくなっている」、特に隣国の中国などに比べ「相対的に貧しくなっている」という事にある気がしている。

 

具体的にどのように変わってきているかというと、(3)、及び(2)の一部の人たちは、今の自分のポジションに必死にしがみつこうとか、なんとか逃げ切りたいとか、「自分は大部分の他の労働者よりは上にいるんだ」と自分に言い聞かせるとか、そういった感覚が強まっており、それを反映した労働観になってきているように感じる。一言で言うと、保身、というかむしろ思考停止というか。

 

世の中のマジョリティーを占める(4)の人たちは、「一生懸命働いてもしかたないじゃん」的な、どちらかというとあきらめ、という感じ。

 

そして上記の変化に伴って、社会全体として何となく「イライラ」が募っていて、何かをどこかにぶつけたい、といった空気感が強くなっている、そう感じる。

 

一方で、一部の人々(ごく一部かもしれないが確実に増えている)は、この貧困感を、「働いても給料上がらないから仕方ないやん」というあきらめでとらえるのではなく、どうせ給料低いならもっと自由に働こうとか、起業をして一発あてよう、といった既成概念・社会に対する「挑戦」のエネルギーに変えているように思う。これはある意味、貧困感がもたらしているポジティブな変化だと考えている。

 

そんなことを考えていたら、数か月前に、以下の記事を読んだ。

forbesjapan.com

なるほどと思ってしまって。

 

「平成の30年の間に、人々はガラケーからスマホを持つようになりました」といった内容の番組をNHKが放送していた記憶があるが、そんなことはどうでもよく、平成の始まりに日本の九州ほどのGDPしかなかった中国に、平成の終わりにはGDPでもとっくに追い抜かれ、平成の始まりには世界の時価総額上位10社のうち8社を日本企業が占めていたのに、平成の終わりにはそれがゼロになり、平成の始まりから終わりまで先進国の中で唯一一貫して給与が下がり続けたのが日本、それがThe 平成であって、何か日本人が誇ってきたものが失われ続けたのが平成という時代だったのだと思う。