わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

考えるための道具、持っていますか?

考えるために道具が必要である、という発想を持っている人はあまり多くないように感じる。「考具」という本を紹介しておきたい。

 

「思考とは何か」という、これまた哲学的な事に自分は興味がない。その問いは、これまでの人類の歴史の中で繰り返し問いかけられてきたのだろうし、これからも問い続けられていくのだろうが、明確な答えは出ないだろう。「宇宙とは何か」といった問いに明確な答えがないのと同じ気がする。

 

そういった崇高な議論は哲学者に任せるものの、少なくとも自分の脳の中で起こる思考について確かな事がいくつかある:

  1. 思考は、感情や意欲とは区別されている
  2. 一つの思考には、中心点がある
  3. 思考は、脳が持つ癖との闘いである

例を持って説明していく。今自分は電車に乗っていて、社内モニターにハワイがちょっと映ったとする。その瞬間に「あー、ハワイ行きたいなー」。これは思考ではなくて、自分の中では感情/意欲に分類される(つまりこの段階では思考は始まっていない)。そこで留まらず、「どうやったらいけるんだっけ?」という問いが瞬間的に頭の中に立ったとする。ここが思考の中心点になる。ちょうど池に石を投げると、同心円状の輪が広がるように、思考の開始にはきっかけがあり、そのきっかけを中心点と表現している。もちろん、脳の中にはこの中心点が一つという事はなく、常に複数(何十個、何百個)存在している。この電車に乗っていた瞬間には、この「どうやったらいけるんだっけ?」という中心点が意識の上に上っているが、電車を降りればそれが意識の向こう側に隠れてしまって別の中心点が呼び戻されたり、そんなイメージである。

 

ここまではおそらく人によって大差ない気がするが、ここから、つまり一度思考が開始されてからの、思考の深さ・広さという点では、個々人の能力によって非常に大きな差が生まれる。「どうやったらいけるんだっけ?」に対して、手段(飛行機なのか、船なのか、はたまた泳いでいくのか)・時間の確保(夏休みとれるんだっけ)・資金の確保(いくらかかるのか、安くいくには)、、、、といった色々な視点がある中で、何をどう切り取ってどこまで深く考えるか、あるいは一旦引いて客観視できるか、はたまた別の中心点との関連性を見つけて考える事ができるか、といった事はその人の能力に依存する。

 

そして重要な事は、思考の実態が何であれ、それは100%生物の「脳」の中で行われる事は確かで、脳の特性に強く依存するという事である。逆に言えば、脳の特性を十分理解していることが重要であり、いわゆる「頭のいい人たち」は意識してか無意識のうちか、それができているように思う。

 

この特性について考えさせてくれた本が「考具」だ。大学生のころ、書店で偶然見かけて、「考える道具、持っていますか?」という帯に引かれた買ったのだが、20代前半で、「考える道具」というその発想に触れられた事、脳の特性について考えることができたことは非常にラッキーだったと思う。もともと頭のいい人間では全くないが、この本に出合ったおかげで、少し色々な視点で物事を考える事が出来るようになったと感じている。

 

ちなみに好きな本は何度でも読むタイプだ。それを読んで着実に実践してみるタイプで、逆に言えば、色々なものに手を出さず、自分がこれだと思ったものを何度でも読んで、考えて、咀嚼するタイプ。その自分が未だに手元に持っている本の一冊が「考具」である。