わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

海外に住み始めて最初に恋しくなるものは

海外に住み始めて、最初に恋しくなるもの。自分の場合は、活字だった。

 

自分はこれまで3回、アメリカに住んだことがある。

 

一番最初は父親の仕事の関係で、シリコンバレー(正確にはカリフォルニア州サンノゼ市)に行った。10歳~12歳半ばまで、2年半という短い期間ではあったが、自分の人生に最も大きな影響を与えた経験と言っても過言ではないだろう。

 

次に住んだのは、大学院時代。ロックフェラー大学という、それこそNY州の中心はマンハッタン島の上にある大学院大学に通い、当時はアッパーイストサイドにある学生寮に住んでいた。Ph.D取得まで、4年半かかったが、ほぼ毎日夜中3時くらまで実験しており、NYを楽しむ事はほとんどなかった。今考えるともったいなかったとは思うが、アメリカのアカデミック/研究世界を覗けたことは非常に有意義だった。

 

最後に過ごしたのはボストン。BCG時代にボストンオフィスに勤務させてもらっていた。ボストンに住んでいた、と言ってもアメリカのコンサルタントらしく、毎週月曜日の朝4時半に起きて、6時のフライトでクライアント先に行き、戻ってくるのは木曜日の深夜、という生活をしていたので、ボストンに住所があっただけ、という感じだ。最後は予期せぬ形でファームを去らなくなってしまったが、アメリカで短い期間でも社会人をできたのはとてもよかった。

 

特に大学院時代、自分が大人になって初めて一人で海外で生活をして気が付いた事は、活字が恋しくなるという事だ。自分は食事にはたいして興味がないので、別に日本食が恋しくなることはなかったし、友達も元々多い方ではなかったので、誰かに会いたくなるといった事もなかった。アメリカ人のおおざっぱさとかいい加減さからくる生活のしにくさ・不便さといった事も特に感じる事もなかった。が、1年くらいして活字に飢えてるなという事は明確に感じるようになった。ニュースサイトをよく読むようになったし、そこのころ自分でブログを書くようになっていた。日本語でずっと鍛えられた脳は日本語という言語で思考をする事に最適化されており、日本語で考えているときに最大パフォーマンスが発揮される。が故に、英語で考える・議論する事のもどかしさのようなものがあったのかもしれない。日本語で思考した結果を英語に変換してまわりに伝えられないもどかしさ、ストレスが活字を恋しくさせたように思う。それに、自分は書いて思考を整理することも比較的好きなのだろうなと思う。そういった言語にまつわる自分の特性が、海外生活をしていると現れてくるのだ、という事を知った