わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

「東大コンプレックス」

ここで言う「東大コンプレックス」とは、東大に行けなかった事ではなく、東大に行ってしまった事に対してのコンプレックスである。人生をやり直すのであれば、あの大学には絶対に行かない

 

(過去を後悔するのに時間を使う事ほど無駄な事はないと思っており、このエントリーも後悔の意図は全くないのだが、自分の人生の備忘録的な雑文)

 

先日、開成高校出身の20代の人と議論をしていた時に、たまたま、現在の開成高校における大学進学の考え方みたいな話になった。その中で、東大の価値が著しく落ちており、開成だと学年で毎年2~3人はハーバードを目指す人がいて、彼らにとっては東大は滑り止めである、という話を聞いた。一人でも多くの人が海外の大学を目指すことはとても良い事だと感じると同時に、開成レベルでもまだ毎年2~3人しかいないのか、と思った。

 

まず東大のレベルが落ちている、これは厳然たる事実だろう。理由は単純で、出生数が落ちているのに、東大の入学者数が変わっていないからである。第1次ベビーブーム(1947~49年)では毎年の出生数が約270万人だったが、現在は100万人を切っている。にもかかわらず、東大の毎年の入学者数は3000人程度で固定されている。つまり、単純に考えれば、第1次ベビーブームの人が東京大学を受験していた1960年代に比べ、現在の東大受験は倍率が約三分の一(少なくとも半分)になっているという事だ。レベルが落ちていると言い切れるかは別として、入学するのが楽になっているのは間違いがない。

 

そして海外の大学に行った方がいいという考え、これは自分もそう強く思った事があるので非常によくわかる。

 

東大に入学した1年目、自分は正直幻滅した、というか、大学教育の実態を知り、強い疑問を抱いていた。受験を乗り越えようやく入学したのに、入った後も学生たちは進振りという制度のもと、テストの点数を取るためだけに授業にでて、単位をいかに簡単にとるかだけを考えている。教える方も教える方で、全くやる気のない授業を、自分の研究の合間に片手間でやっている教授たち。

 

こんな生活をするために大学に入ったんじゃないともやもやしていた1年目の終わりに、VIAというプログラムを通じて、スタンフォード大学に3週間弱の短期交換留学に行く機会があった。スタンフォードの学生は、自分の興味に従って色々な授業や活動に身を投じながら、毎日深夜まで学生寮で勉強し、切磋琢磨していた。彼らは決して勉強が好きでやっているわけではなく、あくまで「やらされている」のだが、教える方もプロの教師(教授が片手間でやってない)で本気であり、また授業でいい成績をとる先に有名企業でのインターンの機会が用意されていたりと、勉強をすればするほど自分の世界を広げるチャンスが与えられていた。ああ、これがエリート教育かと思うと同時に、こんな教育を受けた人間には絶対に自分はかなうはずもない、と思った記憶が鮮明に残っている(アメリカという国はどうしようもない部分がたくさんあるが、大学以降の高等教育だけは本当にすごい、学ぶべきところがあると、その後の色々な経験を通じても感じている)。

 

短期交換留学から戻ってきた自分は、直後に親に、「東大をやめてアメリカの大学を受けなおしたい」と訴え、口論になったのだが、最後に「東大に入る事にお金もかかっている。頼むから卒業証書だけは取ってくれ」と、自分ではどうしようもない教育費の話を持ち出され、黙るしかなかった。大学院では必ずアメリカに行く、かつ、お金のことをもう一生親に言われる事がないよう、奨学金をとって行きの交通費を含め全て自分で出す、と決めたのはその直後だ。

 

そもそも「教育」とは「贅沢」であって、教育を受けられること自体をとても幸せに思うべきだと思うが、もし可能であれば、本当に一流とされる教育を受けてみた方がよいと思う。日本の高校生ももっと世界の扉を自ら開き、アメリカなり海外で大学教育を受けてほしいと思う。