わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

Ph.D.は取得してよかったか

一度、自分が取得したPh.D.(博士号)について書いておきたいとふと思い、パソコンの画面に向かっている。

 

Ph.D.はよく、「足の裏の米粒だ」と揶揄される。つまり、取らないと気になるがとっても大したことないというのだ。これは本当にその通りだと思う。

 

例えば自分は発生遺伝学の分野でPh.D.を取得したが、今その分野とは全く関係のない仕事をしているし、そこで身に着けた知識も直接的には何にも活かせていない。それどころか、Ph.D.を持っていて得をした経験が殆ど思い浮かばない。

 

むしろビジネスの世界に生きるのであれば、一部の例外的環境を除きPh.D.は必要ないだろうし、自分が仮にビジネスの世界で生活をすることを学部生時代に知っていたら、むしろ自分はコンサル会社に就職して2~3年働いたのちに、MBA等の代わりにPh.D.を取っていただろう(ビジネス世界で生きる事が確かでない人でも、そういったパスをお勧めする)。

 

Ph.D.というものは、所詮自己満足の世界なのだと理解している。(少なくとも)生物学の世界で研究者になろうという人は、Ph.D.を取得していないと一人前とみなされないと思うし、どこか「免許」のような存在ではあるのかもしれないが、自分が直接面識のある人の中にもM.D.(医師免許)だけでノーベル生理学・医学賞を取った研究者がいるので、研究をやるにしても別に必要ないといえば必要ない(研究者になる過程で自然に取れるもの、である)。

 

しかしながら、「じゃあ取らなくてよかったか」と言われると、自己満足の観点から「明らかに取ってよかったと思っている」し、また生まれ変わっても必ず何らかの分野でPh.D.を目指していると、そこは確信をしている。では何がそんなによかったのか、いくつか書いてみたい。

 

1. 色々な人との出会いが良かった

アカデミックの研究者になるには、本当にその分野が好きでないといけない。

 

もちろん大して好きでもないのに何となく惰性でポスドクまで行ってしまう人もいるが、アメリカの大学で(日本の大学はまた別の環境かもしれないが、、、)研究室を持つところまで行く道のりはかなり険しく、研究を続けたいという強い興味・意志のない人間が、その道を選ぶ理由が見当たらない。

 

ロックフェラー大学にて、自分が在籍していた期間で、一度だけ研究室を一つ増やす機会があったのだが、公募をしたところ、応募者は確か世界中から1500名以上だった、と聞いた記憶がある。倍率1500倍の超難関というわけだ。一流とされる大学でポジションを持つにはそれだけ狭き門であり、ある意味BCGやマッキンゼーに入社する方がよっぽど簡単だと考えられる。しかも、そうやって苦労してポジションを得ても、研究費が与えられるわけではなく、大学から「研究室という場所を有料で借りる権利」を得るだけなので、研究費はまたグラントを配布している各機関を説得して獲得するというプロセスがある。そうして研究を続けても、成果がでなければ、あるいは成果が出ても大学の中での政治的立ち振る舞いに失敗すれば、テニュアが取れず、40前後にしていきなり無職として世間に放り出される。考えてみればリアルにブラックというか、冷酷なキャリアパスとも考えられる。

 

それでも研究したい、という思いをもって続けている人は、やはり話を聞くと魅力的なのである。「何かを熱っぽく語る人」に対しては自然と耳を向けてしまうと思うが、そういう人達にたくさん出会えるのがアカデミック研究の現場だ。

 

中でも、優秀とされる人は、本当に優秀だった。それこそ、生物という複雑系を、想像力をフルに働かせながら理解していく、自分の中にその世界を描いていく知性に驚かされ、同時に羨ましかった。考えてみれば、生物のミクロの世界を人間が自分の目で直接見る事は決してできない(もちろん顕微鏡を使ったり、蛍光タンパクを使ったりすれば可視化はできるが、それは直接的ではないし、可視化した時点で自然の状態とは大きく乖離しているというジレンマがある)わけだが、その見えないものを見ようとしている姿は、ある意味狂気に満ちているというか、頭がある程度おかしくないとできない事かもしれない。以前、知性に関するエントリーを書いたが、それはこのころであった人たちの影響が非常に大きい。

 

特に自分が師事したShai Shahamとの出会いは大きかった。線虫などそれまで微塵も興味がなかったが、彼が話す姿を見て、「この人に学ばなければここにいる意味がない」と直感し、研究室のローテーションも全くせずに最初から彼の研究室にお世話になった事は、人生で下した決断の中でも数少ない絶対的な正解だったと思う。

 

 未だに、「こういう状況で、Shaiならどう考えるだろうか」と思えるような人に大学院時代に出会えたことは非常に幸運な事だったと思う。

 

2. 「On top of the world」の感覚を味わえた

当たり前のことだが、いや、あまり当たり前と思われていないかもしれないが、人間が知らない事の方が世の中はるかに多い。

 

例えば我々は地球上に生息している生物の数すら正確に把握できていない。人間が記録した生物種はたかだか200万程度で、地球上には実際には1000万種類くらいはいるのではないかと推測されている。森林が消失したり、気候が変動する事で、種そのものが人間が知らない間に消えてなくなっていくので、正確な数字を把握する事は一生できない。「生物が何種類いるか」、そんな基本的と思われる質問にも人は答えられないのである。

 

その中で、研究者になるという事は、まず分かっている事(=研究してはいけない事)を教科書や論文等の文献を通じて理解し、分かっていない事の中から自分の興味のある事柄を選択し、研究するとう事である。つまり、そこで何かを発見すると、必然的に「人類の歴史の中で自分が初めて目にする」ことになる。その結果が重要なものであればあるほど、個人として興奮するし、また「人類の頂点に一瞬立ったかのような(英語ではOn top of the worldと表現されるようだ)」不思議な感覚に襲われるのである。

 

もちろん研究者全員がその感覚を味わえるわけではないのだが、幸運にも自分は大学院時代の研究を通じて、その感覚を味わう事が出来た(ほんの一瞬だったし、よくよく考えれば幻だった気がするが、、、笑)。毎日夜中3時~4時まで顕微鏡の前に座って線虫の細胞をablationし、初めてconfocalで映し出された結果を見た時のあの興奮は、一生忘れることがないだろう。

 

結局は、その後特定した鍵となる遺伝子にフェノタイプを見つける事が出来なかった事もあり、大した論文にはならなかったが、検索すると自分の仕事がいつでも出てくるというのは悪い気分ではない。人類のサイエンスの歴史の中で、自分の論文など、誰も気に留める事もなければ、それが無かったとしても人々の生活には全く影響がないわけだが、「真実(=自分が間違いなく確かだと信じられる)を記した記録を残した」という自負はあり、そうしたものの積み重ねが、マクロでみると人類の進歩に繋がっているのだろうと思う。

 

真実は何なのか、を追求し、そして何かを後世に残すことができた(=100年後に検索しても出てくるものを残した)という点において、自分の中では非常に満足感がある。

 

3. 学びの場として有意義だった

これは前述1の誰と出会うか、によるところも大きく、が故に今一度3点目として書く事はやや冗長な感じがあるのだが、Ph.D.コースは学びの場として普通に有意義だった。アメリカの大学院だったからという事はあるのかもしれないが、その後の人生や社会生活に向き合う姿勢の多くが大学院時代に養われたものだと感じている。

 

例えば、自分と話した人は、どうも私の中に「芯がある」様に感じるらしい。聞いてみると、それは相手が誰であろうと物おじしない・譲らない部分がある、本質を理解しようとする、といった姿勢から滲み出るようであるが、それらは研究者からしてみると当たり前の事で、ある程度共通している性格かと思う。真実を追求する研究者は、相手がどんなに偉くても、ファクトは捻じ曲げられない、ファクトを突き付けて議論する、といのが当たり前であり、研究室の中でそういった教育を受け続けると、必然的に前述のような姿勢になるのだろう。

 

ジェフ・ベソスの「意見で決めるなら、私の意見が常に勝つ。しかし、データは意見に勝つ。だからデータを持ってこい」という言葉を引用し、こうありたいと言っている人をたまに見かけるが、「そんなものは研究者世界では当たり前だ」という話であり、そういった姿勢・考え方が自然に骨身にしみていくのがPh.D.の教育なのだと思う。