わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

経営コンサルの「専門性コンプレックス」問題(その2)

前回のエントリーで、経営コンサルティングファームで働くコンサルタントがしばしば陥る「専門性コンプレックス」は誤解が原因である事が多い、といった主旨の事を述べたが、この専門性に関する状況は日本と海外で大きく異なる。「日本対海外」という対比というよりは、より正確に言えば、当該国における経営コンサルティング業界の発展度合いに依存している、のだと思う。

 

経営コンサルティングという商売はアメリカ資本主義の中で生まれたもので、当然のことながらアメリカの経営コンサルティング業界が最も発展・進化していると考えられる。幸いなことに、自分はBCG時代、2年ほどボストンオフィスに勤務し、アメリカの経営コンサルティング環境を肌で感じる機会があった。

 

確かに専門性に関する状況は日本とアメリカでは大きく違った。ものすごく平易に書けば、「アメリカでは専門性(一般的な意味で、特定の業界/機能に対する深い知見を有する事。時として実務レベルの知識を含む)を持ったコンサルタント(エキスパートと呼ばれる)がはるかに多く、新卒でも早い段階で特定の業界に特化していく事が求められていた」という事なのだが、抽象的に書いても面白くなさそうなので、いくつか関連する具体的観察事項を書いてみようと思う。

 

具体的に取り上げるのは、以下の4つである:

  • 最も良いステコミ(SC)とはどのようなものか?に対する答え
  • パートナーのみがSCでのプレゼンを許される
  • 集められるエキスパートが半端ない
  • 業界/機能単位での採用活動

 

ボストンオフィスにいたころ、一緒に仕事をするパートナーに「最も良いSC(ステコミ)はどのようなものか?」と聞いていたことがあった。それに対する回答は、人によらず驚くほど一緒で、「デック(スライドの束)を一度も開かず、相手の経営者と口頭で議論して終わるSCだ」というものだった。その理由を尋ねると、「コンサルティングとは本来そういうものだ」という。確かに「Consult」という動詞の意味を調べると、「seek information or advice from someone, especially an expert or professional」とある。この動詞は医師や弁護士に相談する時にも用いられるわけだが、このことからも分かるように、経営コンサルティングとは、経営者が(医師と話すのと同じように)「経営課題のエキスパートやプロフェッショナル」と話をして知見を得たり判断をしたりする、そういう商売であり、言葉の意味からも対峙するコンサルタントはそもそもエキスパートでなければならないのだ。

 

アメリカのクライアントはコンサルタントに非常に専門的な知識を求めている。このことはSCのプレゼンの様子の違いからもうかがい知れる。ボストンオフィスにいたころに驚いたことの一つは、パートナーがSCのプレゼンの練習をチームメンバーの前で行う事がしばしばあったこと、そしてSCのプレゼンをジュニアメンバーが行う事は皆無であったこと、である。これは日本とは大きく異なっていた。事実、私が初めてクライアント企業の社長の前でプレゼンをしたのは、BCGに入社してちょうど5か月後だった。そのように、日本ではジュニアメンバーにあえてプレゼンさせるといった事もある程度の頻度で起こるのだが、アメリカではそれは極めて稀だった。理由はシンプルで、クライアントの経営者がコンサルタント(つまりエキスパート)と認めているのはパートナーのみだったからだ。クライアントだって経営コンサルティングファームの事情はよく把握しており、特段の専門性がないジュニアメンバーが入社しては色々な実務を担っていることは知っているが、SCの場で期待しているのはコンサルタントという名の経営課題のエキスパートに相談して知見を得る事であり、パートナー以外はコンサルタントと認識されていなかった。逆に言えば、パートナーになるには特定分野に関してかなりの専門性を有していることが当然で、それを期待されていたのである。

 

パートナーがSCのプレゼンの練習をする際に、しばしば議論されていたのが、どのエキスパートを同席させるべきか、という問題だった。「この部分は自分が話しても違和感ないと思うが、ここはもっと(知見の)厚みを持たせたいので、そうだなぁ、〇〇君は同席させられるかな?あるいは××君の方がいいかな、どう思う?」といったやり取りがなされるのだ。つまりチームとして専門性を補完し、クライアントに最大の付加価値を提供するための議論である。

 

そして、アメリカの場合、この〇〇君や××君が日本では考えられないほど、半端ない専門性をもった人物であることが多かった。そんな人物の一人で、自分がルームメイト(BCGのボストンオフィスではジュニアメンバーでも2名ずつ個室が与えられていた)になったことがあるDavidは、「製薬企業におけるR&D(研究開発部門)の中のR(研究)組織の体制(組織形態)」に関するエキスパートだった。ものすごくニッチに聞こえるかもしれないが、彼の頭の中には大手製薬企業各社の研究部門の過去から直近の組織体系が入っており、「研究部門の生産性をあげるには現在〇〇といった組織体制がトレンドで、実際にそれを採用した製薬大手A社は生産性がXX程度改善しているようだ」といった事を流暢に語る事ができた。

 

ヘルスケア分野のみならず、TMT分野でもものすごくニッチなBtoBシェアリングサービスに超絶詳しい人(彼は欧州市場のエキスパートだった)や、LNG液化天然ガス)のトレーディングに関するコンサルティング案件のみに従事しており、その分野の事なら何でも知っている、かつ比較的狭い業界なので業界の人とすべてつながっている、といったエキスパートと会った事がある。

 

といったレベルで、ことアメリカにおいては専門性の高いコンサルタントが数多く存在している。彼らは、社内的にはエキスパートトラックと呼ばれるキャリアトラックに乗っていることも多かったが、そもそも自分が入社した段階では東京オフィスにおいてはこのエキスパートトラックすら存在していなかった(おそらく現在もこのキャリアパスにのっかっているコンサルタントは日本ではかなり希少、又は皆無だと思われる)

 

そしてこういったエキスパートは、ファーム全体で採用するというよりは、業界/機能単位で採用されていた。つまり、例えばDavidの場合、入社段階でヘルスケアグループによって採用されており、当然のことながら製薬系の案件しか担当しない前提だった。社内の業界/機能グループが、こんな専門家が必要だから採用しよう、とある程度独自に採用活動を行う事が当たり前に行われていた。

 

新卒に関しても、当然採用はオフィス単位で、入社時点では専門性は求められていなかったものの、アメリカの場合マネージャーにあがるタイミングではある程度従事する業界/機能を決めていることが暗黙の了解だったように思う。

 

このように、アメリカにおいては、専門性が高いコンサルタントがかなりの割合で存在しており、日本のコンサルタントが感じるような専門性問題は相対的に生じないのかもしれない。逆になぜ日本では専門性問題が生じるのかと言えば、日本の経営コンサルティング業界がまだそれほど深化しておらず、クライアントも専門家よりはジェネラリストを重宝する段階にまだとどまっているからかもしれない(遅かれ早かれその状況は変わるだろう)。いずれにせよ、日本のジェネラリスト嗜好は世界的に見ればむしろ珍しいのだ、と思っておくとよいと思う。

 

しかしながら、この専門性問題は業界に依存する部分もあるのだ。例えばヘルスケアは比較的専門性が高まりやすい構造にある。この業界視点での考察はまた次回のエントリーで書くとしよう(今回も長くかいてしまったな、これ、、、)