わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

褒めない、叱らない

最近は一人でクライアント先に行くことも多く、「チームで働く」という事が少ないので、あまり自分のマネージメントスタイルを考えることもないのだが、戦略コンサルティングファームで働いていたころは、自分がチームをマネージする時、必ず一つの事を心掛けていた。それは、

褒めない、叱らない

という事だ。

 

理由は単純で、チームメンバーが「(マネージャーである)自分の顔色をうかがって仕事をするような事が起こらないよう」にするためだ。マネージャーという立場の人間が、褒めたり、叱ったりすると、その評価基準をメンバーが次第に習得し、しばらくすると自分に褒められるようにメンバーが動くようになる。つまり、自分の顔色をうかがって働くようになる。それが、最悪の状態、なのである。

 

プロフェッショナルファームでは、個々人がまさにプロであるべきで、自分の思想・信念を持ち、自分の頭で考えてベストと思われる形で物事を遂行していくべきであると考える。そして、誰も(シニアパートナーでさえ)その姿勢自体を尊重しない、あるいは阻害するような態度や行動をとるべきではない、と思う。

 

コンサルティングの現場では、メンバーが自分の顔色をうかがって働くようになると、「自分がそのチームの能力の限界になってしまう」という具体的弊害が発生する。いわゆる、自分が答えになってしまう、状態で、チームのアウトプットの質がマネージャーの能力とイコールになってしまう事を指す。このような状態では、ジュニアメンバーがアウトプットを持ってきても、自分のインプット=答え、だと受け取られ、それがそのまま反映されることとなる。しかし、マネージメントをする立場としては、本来は自分を含めた個々のチームメンバーの能力の総和以上のアウトプットを出すことが仕事であり、言い換えれば「1+1=3」を産み出せるか、が重要だと思う。特にマッキンゼーのようなトップファームでは、一緒に働くジュニアメンバーは色々な意味で本当に優秀な人が多く、彼らの能力をフルに引き出せなければマネージャー失格だと、よく自分は自分に言い聞かせていた。もちろん、ビジネスの現場経験を積まないと鍛えられない能力もあるものの、ある分析の結果(=ファクト)をどうとらえるのか、別の見方はないか、など論理的思考能力や発想の部分では、チーム全員の思考をフルに活用した方がいいアウトプットに繋がる可能性が高まる。事実、自分一人ではこのアウトプットは絶対思いつかなかった、という場面を何度も経験させて頂いた。

 

とはいえ、褒めない、という部分は特に難しい。やはり長い年月をかけて自分に染みついてしまった思考の癖があるわけで、つい表情に出たりしてしまうものだ。不器用だった自分は、褒める、代わりに「意見を言う」という姿勢を常に明確にしていた。「(最終的にアウトプットに反映させるかさせないかは別として)自分はここの部分は変えた方がいいと思う、なぜなら、、、、」というように、必ず自分がいいと思う理由、悪いと思う理由を明確に言語化して伝えるように努力した。逆に言えば、ジュニアメンバーが持ってきたアウトプットについて、何か気持ち悪いと思っていても、理由を言語化できなければインプットはせず、それは言語化できない自分の責任だ、と理解してた。理由をつけて話す事で、受け手は褒められている・叱られている、という受け止め方ではなく、意見を述べられている、逆に言えばその意見が矛盾しているのであれば自分が意見を言う権利がある、というように理解して接してくれるようになる、と感じていた。まあ未だに、褒めない、というのは難しいなと思うのだが、褒める弊害を理解し、努力はしていたという自負はある。

 

そういえばこの前、元中日の監督だった落合博満さんが、ベンチでは無表情を貫いていた理由を聞かれ、「選手が俺の表情をみてプレーしないように」という事を答えている動画を見て、なんかうれしくなった。そう、プロは上司の顔色をうかがって仕事をしてはいけないのだ。