わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

頭にいいものを取り込む、という考え方

最近ずっと気になっていることを綴った雑文である。

 

人間はつくづく「目に見えないもの」を考える事が苦手な生き物だと感じる。環境問題の中でも温暖化対策が遅々として進まない一因は、温室効果ガスが目に見えないからだと個人的には考えている。これが河川の汚染やごみ処理問題の場合、具体的に目に見えるので「解決しなければ」というモチベーションが働きやすいが、温室効果ガスは目に見えないので危機感が煽られにくい。

 

「確実に存在はしているが実質的に見えないもの」で、人がよく見落とすもの、の別の例は遺伝である。遺伝による能力差というものは確実に存在し、かつある意味絶対的である。アスリートの夫婦から生まれた子供は運動能力に恵まれる事が多いのは誰しもが認めるところだろうし、同様の事が頭脳にも言える。McKinseyといった優秀な人材を集める会社にいると、たまに「この人頭いいわ!」とびっくりする若手に出会う事があり、それは遺伝的な差によるところが大きいと考えられる。もし遺伝的な能力の高さが可視化できたとしたら、McKinseyには高い人たちが固まっているに違いない。

 

にもかかわらず、社会の仕組みとして遺伝的能力の差を取り込むことは人種差別や迫害につながるためか、あたかもそれが存在しないかの様に扱われ、「皆努力すれば高い能力を身に着ける事ができる」、「努力は報われる」といった思想が未だはびこっていることは、どこか滑稽とも思える。

 

そして、見落としているわけではないが、自分を含め多くの人が意識できていないことは、思考のあり方・くせ、だと思う。自分の人生が自分の思考と行動の結果だとすれば、思考をコントロールする事は極めて大切だと考えられるが、「体の健康が気になるからサプリでも飲もう」という人は沢山いるのに「思考の状態が気になるから、テレビ見るのやめよう」という人はあまりいない。

 

自分が何を見てどう考えるのか、どういった思考の人間と接するのか・接しないのか、といった思考のコントロールについてはもっと強く意識していきたいと思う。