わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

速読

このブログを始めたのは、自分が人生の後半に差し掛かるに際し、人生の前半で起こった色々な事をまとめようと思ったからであるが、この前ある人と話していて、地味に重要な事をエントリーにし忘れていたことに気が付いた。

 

それは速読についてである。

 

大学生時代のある夏休みに、毎日のように池袋にあった速読の教室に通っていたことがある。最初入会したコースが10万円くらいで、その後追加でレッスンを受けて、結局合計20万円くらい投資した記憶がある。当時の自分にとっては、新宿の小田急百貨店の婦人服売り場でのレジ打ちや、朝日新聞世論調査のバイトでためた、結構貴重なお金だったかと思うが、今振り返るとこの速読への投資は地味に重要だった気がしている。

 

自分が、何がきっかけで速読に興味を持ったのかは全く覚えていないのだが、突然何かにとりつかれたように通っていた。結果として、人が驚くような速読は身に着けられなかったが、読むのが早くなったのは間違いなく、後々仕事の生産性に影響している。

 

多くの人が、あまりに当たり前すぎて意識すらしていないと思うが、文字を認識する速度、というのはあらゆる仕事をする上で最も基礎的な、重要な能力だ。一般的な人(=何もトレーニングを受けていない人)は1分間に読める文字数が600程度であり、早い人でも1000文字程度である(ちなみにしゃべる速度はもっと遅く、日本語の標準とされるNHKでは1分間に300文字程度、最も早口なアナウンサーの部類に入るTBSの安住アナは1分間に400文字程度を話している)。

 

自分の場合、入会時点で測定した読む速さは、確か800~900文字/分程度だった。それがトレーニングを受けた結果、瞬間的に6000文字を超えるまでになった記憶がある。当然速読も継続的なトレーニングを怠ればその能力が落ちていくので、現在では6000文字は無理だが、少なくとも900文字よりは格段に速く、おそらく2000文字/分は間違いなく超えていると思う。

 

つまり文字の処理速度が自分は普通の人に比べて少なくとも2倍はあります、という事なのだが、速読の効果は単純に「読める速度が速くなる」という事ではない。トレーニングして強化されるのは、「特定の画像(この場合、文字)を認識して処理する」という一段汎用的な能力である。具体的には、街の景色を見た時に看板などに書かれている文字をぱっと認識・理解する事も早くなるし、また日本語だけでなく、英語の文章も読むのは早くなる。つまり、視野を広くとって文字(という特定の画像)をばっと取り込む感覚が身についていくわけで、その視野の広さは自由に変えられるようになる(なので、速読をすることもあれば、ゆっくり通常の速さで文字を楽しむこともある)。その感覚がつかめると、文字ではないが、ウォーリーを探せのウォーリーを探す速さも早くなるのだ。

 

もちろんすべてのジャンルの文章を早く読める(≒文章をその速さで処理してもちゃんと理解する)ようになるわけではなく、早く読めるようになるのは自分が慣れ親しんだジャンルの文章に限られる。不慣れな文章(例えば何かの専門書)は早く読めないわけだが、それでもその文章の中から特定の事に触れられた部分を抜き出したりするのは異常に早くなる(なぜなら、視野を広くとって、意味は正確には分からないが、それらしき事がか書かれている文字群をサーチする事ができるようになるからだ)。

 

この能力を身に着けたことで、後々コンサルタントの仕事をしていた際も、情報処理は周りの人に比べて速くできていたと思う。たまに膨大なレポートを処理して要点をまとめる、示唆出しをする、などという作業があるが、それは圧倒的に速かったし、評価の際にそれを指摘された事もある。

 

速読というとどこか胡散臭いイメージを持つ人が多いかもしれない。「驚異的な能力を持つ人」みたいなテレビの特集で、何百ページもある本を数十秒で読む、といった姿が放送されたりしている事が影響していると思うが、少なくとも自分の体験から言うと、1万文字/分くらいの速度までは達成できる人がいても全くおかしくなく(それは奇跡でもなんでもなく、実現可能という意味)、すべての人が最低限読む速度を現状の2倍にはできるはずである。

 

読む速度が2倍になるだけで、少しものの見方が変わり、仕事の生産性も上がるので、やってみる価値は十分にあると思う。