わかるブログ

人生の後半に向かっていくにあたり、自分の引き出しの中身を色々書いて一旦空にし、新たに学びを深めていかざるを得ない環境を作ろうと思って始めたブログ

経営コンサルの「専門性コンプレックス」問題(その1)

マッキンゼーやBCGといった、いわゆる経営コンサルティングファームで働くコンサルタントは、しばしば「自分には専門性がないのではないか」という悩みを抱く。新卒入社の場合は、2~3年目あたり(つまり仕事のやり方を覚え、ある程度自分でアクセルを踏んで仕事を回せるようになったあたり)からこういった悩みを持つようになり、中にはこれが原因で転職をしていく者も少なくはない。この経営コンサルタントの「専門性コンプレックス」問題は、実は色々な要素が絡んでいる複雑な問題だと認識しており、包括的にうまく説明できる自信が全くないのだが(今頭の中で整理しようとして失敗している、笑)、少なくとも絡み合う個別要素については書けそうなので、一度考えをまとめてみたいと思う。

 

まず、考えるべき要素は、少なくとも3つあると思っている:

  1. 誤解:世の中でいう専門性と経営コンサルティングというコンテキストにおける専門性がいっしょくたにされている
  2. 日本の経営コンサルティング環境:専門性問題は日本と海外で大分事情が異なり、特に経営コンサルティング業界が最も発達したアメリカ(おそらく日本より20年以上は進んでいる)では専門性を持っていることが必須に近い
  3. 業界の地殻変動:現在進行形で、全業界においてデジタル革命が進んでいるが、例えばこのデジタル分野は経営コンサルタントでも深い(というか具体的な)知識と高度な専門性を持ち合わせていないと質の高いコンサルティングが提供できず、こういった流れが「経営コンサルタントの専門性」のあり方を変えていく可能性がある

 

まず1点目について。

新卒2~3年目のジュニアコンサルタントが、「自分には専門性がないのではないか」と悩み始めるそもそもの原因は、一般的なイメージでいう専門性と経営コンサルティング業界における専門性を混同してしまっていることにある事が多い。

 

一般的に「専門性」というと、例えば特定の業界の特定の機能(マーケティング、研究開発、など)について、実務レベルの事も含めて深く理解している状態を想像するのだと思うが、経営コンサルティングという文脈における専門性とはそういった事ではないのだ。

 

別の言い方をすれば、専門性のなさを悩んでいるコンサルタントは、「経営コンサルティングを通じて自分がある業界の専門性を身に着けると、その業界に実際に入っていってもうまく事業を回せる」と勘違いしてしまっているのだ。逆に言えば、「ある業界や特定の機能に深い知見がある人が経営コンサルタントとして価値を出せるかと言われれば必ずしもそうではない」という事だ。

 

多くの現役コンサルタントがこの点を誤解(とここでは呼ぶことにしよう)しているがゆえに悩み、またこの誤解が広くはびこっているがゆえに、中途入社で経営コンサルを目指す人が「自分は前の事業会社でXXな経験を積み、深い知見があります」とアピールをしたりするわけである。以前質問を受けた際、「経営コンサルタントという仕事で成功するかどうかは地頭がいいかどうか、つまり想像力があるかどうかが重要で、それがない人は極論何をやってもコンサルタントとしてはダメだ」と言い切ったのも、経営コンサルティングという職業には独特の仕事の仕方・仕事観があり、専門性の考え方があり、過去の経験などよりもそれに適合できるかが重要だ、といった考えが背景にあってのことだ。

 

では、経営コンサルティングにおける専門性とは何のか。これがまた深遠なトピックで説明に困るのだが、ふわっと書けば、

  • 幅広くビジネスの常識を身に着けており、
  • あらゆる情報を経営課題という文脈で考える事ができ、
  • それらの情報について自分なりの考えを持てる

ことである。あまりにふわっとしていて伝わらないかもしれないが、例をあげれば大前研一さんや御立尚資さんは、例えばテレビの生放送で、司会者に突発的にある業界のある事象について意見を求められたとしても、経営課題というコンテキストでその事象をどう解釈できるかについて流暢に述べるだろうし、その姿を容易に想像できる。それが経営コンサルティングにおける専門性が具現化した状態なのだ。

 

ここまで書いて、あーこれ伝わらないな、うまく書けないな、と思って困っていたら、実は尊敬する現役コンサルタントのブログで、偶然にも全く同じトピックでエントリーがあり、具体的にはそちらを読んで頂ければと思う(すごい偶然だ、苦笑)。

www.tokyo-harbor.com

 

まあ要するに、「専門性がない、どうしよう」と悩むのではなく、「経営コンサルはそういうものだ」と割り切ってしまったほうがいいのだと思う。

 

ここまでで大分長くなってしまったが、2点目以降、アメリカではだいぶ事情が違う、といった事はまた次回のエントリーで書くことにしたい。 

 

速読

このブログを始めたのは、自分が人生の後半に差し掛かるに際し、人生の前半で起こった色々な事をまとめようと思ったからであるが、この前ある人と話していて、地味に重要な事をエントリーにし忘れていたことに気が付いた。

 

それは速読についてである。

 

大学生時代のある夏休みに、毎日のように池袋にあった速読の教室に通っていたことがある。最初入会したコースが10万円くらいで、その後追加でレッスンを受けて、結局合計20万円くらい投資した記憶がある。当時の自分にとっては、新宿の小田急百貨店の婦人服売り場でのレジ打ちや、朝日新聞世論調査のバイトでためた、結構貴重なお金だったかと思うが、今振り返るとこの速読への投資は地味に重要だった気がしている。

 

自分が、何がきっかけで速読に興味を持ったのかは全く覚えていないのだが、突然何かにとりつかれたように通っていた。結果として、人が驚くような速読は身に着けられなかったが、読むのが早くなったのは間違いなく、後々仕事の生産性に影響している。

 

多くの人が、あまりに当たり前すぎて意識すらしていないと思うが、文字を認識する速度、というのはあらゆる仕事をする上で最も基礎的な、重要な能力だ。一般的な人(=何もトレーニングを受けていない人)は1分間に読める文字数が600程度であり、早い人でも1000文字程度である(ちなみにしゃべる速度はもっと遅く、日本語の標準とされるNHKでは1分間に300文字程度、最も早口なアナウンサーの部類に入るTBSの安住アナは1分間に400文字程度を話している)。

 

自分の場合、入会時点で測定した読む速さは、確か800~900文字/分程度だった。それがトレーニングを受けた結果、瞬間的に6000文字を超えるまでになった記憶がある。当然速読も継続的なトレーニングを怠ればその能力が落ちていくので、現在では6000文字は無理だが、少なくとも900文字よりは格段に速く、おそらく2000文字/分は間違いなく超えていると思う。

 

つまり文字の処理速度が自分は普通の人に比べて少なくとも2倍はあります、という事なのだが、速読の効果は単純に「読める速度が速くなる」という事ではない。トレーニングして強化されるのは、「特定の画像(この場合、文字)を認識して処理する」という一段汎用的な能力である。具体的には、街の景色を見た時に看板などに書かれている文字をぱっと認識・理解する事も早くなるし、また日本語だけでなく、英語の文章も読むのは早くなる。つまり、視野を広くとって文字(という特定の画像)をばっと取り込む感覚が身についていくわけで、その視野の広さは自由に変えられるようになる(なので、速読をすることもあれば、ゆっくり通常の速さで文字を楽しむこともある)。その感覚がつかめると、文字ではないが、ウォーリーを探せのウォーリーを探す速さも早くなるのだ。

 

もちろんすべてのジャンルの文章を早く読める(≒文章をその速さで処理してもちゃんと理解する)ようになるわけではなく、早く読めるようになるのは自分が慣れ親しんだジャンルの文章に限られる。不慣れな文章(例えば何かの専門書)は早く読めないわけだが、それでもその文章の中から特定の事に触れられた部分を抜き出したりするのは異常に早くなる(なぜなら、視野を広くとって、意味は正確には分からないが、それらしき事がか書かれている文字群をサーチする事ができるようになるからだ)。

 

この能力を身に着けたことで、後々コンサルタントの仕事をしていた際も、情報処理は周りの人に比べて速くできていたと思う。たまに膨大なレポートを処理して要点をまとめる、示唆出しをする、などという作業があるが、それは圧倒的に速かったし、評価の際にそれを指摘された事もある。

 

速読というとどこか胡散臭いイメージを持つ人が多いかもしれない。「驚異的な能力を持つ人」みたいなテレビの特集で、何百ページもある本を数十秒で読む、といった姿が放送されたりしている事が影響していると思うが、少なくとも自分の体験から言うと、1万文字/分くらいの速度までは達成できる人がいても全くおかしくなく(それは奇跡でもなんでもなく、実現可能という意味)、すべての人が最低限読む速度を現状の2倍にはできるはずである。

 

読む速度が2倍になるだけで、少しものの見方が変わり、仕事の生産性も上がるので、やってみる価値は十分にあると思う。

バイタリティー

短い感想のようなエントリーになってしまうが、、、、

 

連日ゴーンさんの国外逃亡が話題になっているが、純粋に「65歳で国外逃亡をはかる」というそのエネルギーがすごいと思う。生に対する執着心というか、向上心というか、自分の正義を貫く信念というか。65歳で起訴されたら、自分ならシュンとして、まあせいぜい、いかに自分の意見を主張するかとか、刑を軽くするかといった事を考えるのみで、逃亡は思いつかない気がする。

 

そういったバイタリティーを持った人だからこそ経営者としてのし上がり、こういった状況になっても協力者を見つけて逃亡をはかれるのだと思う。

 

しかし、出入国管理庁は何をやってたんだというか、そもそもGPS体に着けておけばこんな事簡単に避けられたやん、というお粗末感がハンパない(海外では保釈中GPSをつけるのが当たり前らしい)。

 

 

知識と知恵

年末にExマッキンゼーの岡田祥吾さん(残念ながら直接の面識はない)のツイッターの投稿が炎上しているのを見た。投稿内容は下記のようなものだ:

マッキンゼーで学んだのはビジネスの方法でも業界知識でもない。それは学ぶ力だ。一ヶ月間死ぬ気で一つのことを勉強すればその道で10年間やっている人よりも深い知識をつける事も不可能ではない。

 

曲がりなりにも戦略コンサルをやっていた私から見ると、「そんな事当たり前じゃん(=当然の事を言っている)」と思える内容で、正直色々叩かれているのを見て、ネットって怖いなと思った次第だ。

 

まず前提として、「知識」と「知恵(とここでは呼ぶことにしよう)」は明確に区別しておきたい。知識とは、「誰もが事実として共有できる情報」とでも言うべきもので、コンサル的に言い換えれば「ファクト」だと思う。一方で、知恵とは、その知識に個人の判断を加えて加工されたものである。つまり、知識が昇華されて知恵になる。

 

これは料理に例えると分かりやすい。素材の種類(肉、野菜、など)や調理法(揚げる、焼く、煮る、など)はファクトであって、知識として吸収できるものである一方で、それらの素材・調理法を組み合わせて調理した結果である料理そのものは、料理人の経験や感性が織り込まれた知恵と捉える事ができる。

 

こう考えた時、その道で10年やっている人の「知識」を1か月で身に着ける事は(本気を出せば)たやすいだろう。それどころか、第3者は、10年やっている人が気にも留めなかったファクトでも、選別することなく記憶してしまうので、結果として10年やっている人より「深い」知識を身に着けることになるだろう。

 

むしろ、本当に戦略コンサルの視点から言うと、どのようなプロジェクトでも、一か月じゃなくて2日程度でキャッチアップする事が求められており、プロジェクトの論点に関わる部分に限定してではあるが、それくらいのスピード感で基礎的なファクトは理解する必要がある。その上でクライアントと対峙し、必要なファクトをさらに引き出していくという感覚だ。

 

一方で、知恵については当然のことながら一朝一夕には身に着けることが難しい。しかしながらコンサルティングの場合、大げさに言えば、その知恵に至った人の経験や感性(=コンサルティングのコンテキストでいえば業界の慣習など)を書き換え、新しい知恵の創出に貢献する作業なので、その部分にとらわれる必要は必ずしもないのだ。

 

なので、上記ツイッターの内容は、コンサルタントにとっては違和感のない内容なのではないかと思う。

 

悲しいなと思うので、多くの10年選手の社会人と話していて、知識を知恵まで昇華できている人、そういった癖がついている人が実に少ない事だと思う。毎日自分が接している事に対し、「なぜそうなるのか」、「その背景に何があるのか」といった事を自然と考えられる人というのは想像している以上に少なく、むしろ「10年もこの業界にいてなに考えてたんですか?」と感じる人が多い。こう書きながら、これは自分に対する戒めでもあり、自分も常に小さい事でも学び続けられる人間でありたい。

 

 

 

マッキンゼーとBCGは何が違うのか(その2:本質的な違い)

マッキンゼーとBCGの細かい違いはたくさんあれど、本質的にはそれらは全て「組織の作り」の違いに起因するし、少なくともそう捉えると妙に納得できると考えている

 

結論から書くと、体感としてマッキンゼーとBCGは驚くほど違う。同じコンサルティングを生業としているものの、それぞれの組織の中にいると、「同じ業界の会社なのか?」と思うほどである。特にBCGを経験してからマッキンゼーに行った身としては、マッキンゼーは天国のように映り、実際社内のまわりの人にも良くそう伝えていたし、コンサル業界でこんな会社があるのか、と思うほど過ごしやすい、まさにエクセレントカンパニーだった。これは個人的な見解ではあるものの、ただ、同時期にたまたまマッキンゼーに在籍していた元BCGの人と話しても全く同じように感じていたので、「明らかに違う」というのは事実なのだと思う(逆もしかりで、BCG在籍中にマッキンゼーからBCGに来た人と何人か話した事があるが、だいぶ違うと感じるらしい)。

 

個別具体で何が違うかはさておき、なぜ同じコンサル業界の会社で、「全く違う」と感じるのか。色々な捉え方があるのかもしれないが、本質的には下記の2点が原因であると考えている。少なくとも、そのように考えると、個別具体の違いが全てそれらに紐づけて考える事ができ、妙に納得できる、との理解に至っている。

 

違い1)組織の進化のレベルが異なる

  • 進化レベルが異なると共に、「Why」の設定のされ方が異なる

違い2)組織の「お財布の場所」が異なる

 

 まず違いの1点目について。これはティール組織について色々勉強している中で気が付いたことなのだが、マッキンゼーとBCGで組織の進化のレベルが異なる(下図参照)。「テール組織」の著書であるフレデリック・ラルー氏の組織経営の進化形態にあてはめると、マッキンゼーはGreen組織だと思う。Valuesと呼ばれる価値・行動規範(Valuesに対してしっくりくる日本語訳がないが、、、)が明確に共有されており、ありとあらゆる場面でそれに基づいて運営されているのがマッキンゼーの大きな特徴であり、それがマッキンゼーマッキンゼーとたらしめているといっても過言ではないだろう。マッキンゼーの人たちは、外から見ると「宗教的」に見えるのは、このValuesに従っているためである。

 

そしてもう一つ重要な事は、エクセレントカンパニーに共通してみられる、Simon Sinek氏の言うところのWhy-How-Whatのゴールデンサークルが、マッキンゼーでも存在する事である。マッキンゼーは傍らか見ればコンサル会社であるが、EMのトレーニングに参加した時、当時のグローバルトップのDominic Bartonは、「我々のミッションはグローバルリーダーを育てる事である」と断言していた。つまり、マッキンゼーの本質(Why)は、グローバルリーダーを育てる事、であり、世界で最も難しい経営課題を解く事(How)がそれに有効であるがために、日常は経営コンサル業(What)をやっている、という組織がマッキンゼーなのだと理解している。(それが正しいかどうかは別として)少なくともこのように理解をすると、社内の制度がなぜそうなっているのか、を一貫性をもって非常によく説明できる事に気が付いたのである(詳細は後述)。

 

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一方で、BCGはどうかと言えば、組織的にはオレンジ組織を抜け出していない。彼らは独特の価値観は持っているものの、それを組織運営の絶対的基盤として浸透させているわけではない。BCGに入社するとDay1で「自己責任」という言葉を叩きこまれると思うが、これはある意味Accountabilityを徹底し、同時にCompetitionを産む概念だと思う。BCGのWhyはどこまで掘り下げてみても「コンサルティング事業をうまくやる事」であり、それを基軸に組織設計がなされている。

 

上記を踏まえると、マッキンゼーはコンサル業を装ったグローバル人材輩出企業であり、BCGはコンサル企業と言えるのかもしれない。

 

そして2点目の「お財布の場所」について、これは前述の組織の進化形態に比べれば一見枝葉的な話に見えるものの、組織の力学に大きな影響を与えており、その組織の違い生み出す重要なドライバーであると考えている。自分はどちらのファームでもパートナーになったことがないので、詳細を把握しておらず断言はできないものの、BCGは明確にオフィスごとに予算が組まれており、「東京オフィスのコストは東京オフィスで賄う事」が原則だと理解している。逆に言えば、東京オフィス独自で何かに取り組みたい場合は東京オフィスのパートナーが了承すれば進められるので、ローカルの事情に柔軟に対応できるという利点もある。ローカルへのカスタマイズはBCGが重視している事の一つであり、それに即した組織設計と言えるだろう。一方で、マッキンゼーはGlobal One Firmを対外的にも標ぼうしており、お財布(予算)もグローバルなのではないかと推測している(マッキンゼーの各オフィスの予算などは、下っ端には完全にブラックボックスで、あくまで推測である)。この違いが、マッキンゼーとBCGの違いに繋がる、重要なポイントであると思う。

 

上記2点が相まって、マッキンゼーとBCGは体感として恐ろしく違う組織になっており、所属すればその違いは明確に感じ取る事ができる。

 

 

 

 

マッキンゼーとBCGは何が違うのか(その1:序文)

マッキンゼーとBCGの違いをエントリーにする上で、一応初めにdisclaimer的な事を書いておこうと思う

 

自分は生物学のPh.Dを取得した後、新卒でBCGに入社し、その後、紆余曲折あってマッキンゼーでも働く機会があった。BCGを卒業した後、まさかコンサル業界に戻るとは夢にも思っていなかったのだが、本当に不思議なご縁があり、マッキンゼーに入社することになった。BCGでは精神的にも体力的にもにつらい経験があり、その当時、「マッキンゼーとBCGは似たようなものである」と勝手に思っていた自分は、入社することをかなりためらい、オファーレターをもらったものの一旦断る、が話をもう一度聞いて、その期限の最終日にオファーを受けることを決めた事を今でも覚えている。この業界に戻るのか、というどこか恐怖感に近い感覚と、またプロフェッショナルな人たちとプロフェッショナルな仕事ができる、という期待感が交錯していた。

 

マッキンゼーとBCGの両方を経験している日本人はかなり少ないと思うが、中でも希少なのは、自分のようにBCGからマッキンゼーに行った人間だ(インターンをBCGで経験してマッキンゼーに入社した、といったケースではなく、どちらにも正式に所属したという観点で)。マッキンゼーからBCGに行く人は昔からいたのだが、その逆は殆どいないという認識だ。グローバルで見れば当然事例がちらほらあるわけだが、日本に限ると私が知る限り3名しかいない(しかもうち1名はコンサルティングスタッフではない)。

 

その理由はさておき、マッキンゼーとBCGの違いを書いていこうと思うが、以下の点には留意して頂きたい:

  • あくまで、マネージャーレベルの視点で感じた事を書いている
    • コンサルティングファームではテニュアによって全く視座が変わる
    • 自分はマッキンゼーでEM(マネージャー)レベルまでしか経験してないので、あくまでその視点で感じた範囲の事を書いている(これがパートナーまで経験したという事になれば、内容は全く変わってくるのだと思う)
  • 当然個人のバイアスがかかっている 
    •  これまでのエントリーから何となく伝わっていると思うが、自分はマッキンゼーが大好きで、BCGはどちらかというとアンチである
    • そのバイアスがかかってしまう事は避けようがないが、できるだけファクトベースを心掛けてはいる
  • 守秘義務違反にならないよう、最大限配慮している 
    •  それぞれのファームの詳細については、アラムナイといえども当然守秘義務があり、書けない事が多いし、書くつもりもない(守秘義務を侵す意図は微塵もない)
    • 「この程度は問題ないのでは」と自分で判断し、守秘義務の範囲内で書くようにしているが、もし現役のファーム在籍者や第3者の方から見て、これはちょっとと思う部分があれば、遠慮なく伝えて頂きたい

 

そもそも、このテーマをエントリーにするか、守秘義務もあるのでかなり迷った(というか守秘義務を守りつつうまく書くのが難しいのだが)のだが、しかし、どうしても書きたい、書かざるを得ないと思えるほどマッキンゼーとBCGというファームは違う。次回は、その違いの本質がどこから来るのか、まとめてみたい。

スライドはパターン認識である

先日、ある人に「スライド添削してもらえますか」と言われてPCの画面を見せられたのだが、彼が画面をこちらに向けるか向けないかのうちに、自分が「糞チャートですね」と言ったら、「まじめに見てくださいよ。見てないのに判断できないでしょ」と言われた。

 

いや、それは違うのだよ。一瞬ぱっと画面が目の端に入った、その印象で糞チャートかどうかは分かるのだ。なぜならチャートというものはそもそもパターン認識だから。これまでのキャリアの中で、何万枚のチャート見てきたと思ってるんだ?いいチャートを収集し、パターンを覚え、自分で書ける引き出しを増やしていく、といった努力をしてきた人間からすれば、一瞬の気配でチャートの良し悪しは分かるものなのだ。良し悪しは瞬間で判断した後、その理由を後付けで考える。

 

大体、主に用いられるパターンは本当に固定されており、「ツーパネル」といったように名称がついているものまである(下のSlideShare参照)。チャートを書く時に、これどうまとめようと悩むこと自体が十分引き出しがない証拠で、自分の場合伝えたいことが決まればチャートは頭の中ではほぼ一瞬で描けて、アウトプットの形が決まるのである。そんなものなのだ、スライドライティングとは。

 

100本ノックの実例2:日本語を正確に書くことの難しさ

昨日のエントリーで、ロジカルシンキング100本ノックの実例を示したが、このトレーニングをしていくと、「日本語で自分の意図を正確に伝える事」の難しさを実感する事となる。そのことを示すために、もう一つ具体例を示しておこう。

 

【インプットを受ける段階のメモ】

ブログの読者を増やすには、特定個人の課題解決にフォーカスすべき(A)

  • 特定個人向けのテーマは、共感を得やすい(B)
    ・大衆向けテーマは、読者が自分事化出来ず、共感しにくい(C)
    ・特定個人向けのテーマは、読者が自分事化出来て、共感しやすい(D)
  • 共感する記事を読んだとき、友人にシェアしやすい(E)

  

【インプット】 

この文章を「一般の社会人が書きました。構造化の能力、どうですか?」
と尋ねられたら、80点くらいをあげてもいいかもしれないが(それくらい世間一般の社会人の構造化に対する理解は低いので)、「McKの人間が書きました。点数は?」と言われたら、5点くらいだと思うので、あえてちゃんとインプットしよう。


まず、(A)の文章は日本語として正確性に欠いている。
意図している内容は、記事のテーマを特定個人の課題解決にするべき、という事を言いたいのだと思うが、この文章だと、ブログの読者を増やすのに、例えば特定個人の課題解決を日々の生きがいにするというのも含まれてしまうので、より正確に記述すべき。
例えば
ブログの読者を増やすには、特定個人の課題解決についてエントリーすべき
とか、
ブログの読者を増やすには、記事のテーマを特定個人の課題解決に絞るべき
とか。

 

次に、定義がぼやけた独自の用語を、説明なしに使っている。
「大衆向けテーマ」って具体的になんですか?「大衆向けテーマ」と書いて、一般の読み手が認識の齟齬なく同じものをイメージできますか?
「特定個人向けのテーマ」ってなんでしょうか?

例えばGoogleで、「ブログ、特定個人向けのテーマ」と検索をすると、1件も出てこないので、その時点で、特定個人向けのテーマ、という言葉自体が一般性を欠くと判断でき、具体的に説明しないと通じないという事になる。その説明が欠如している時点で、分かりやすく書く、という構造化の目的に反している。

 

そして、3点目は、論理の飛躍をやや感じるという点だろう。
(E)の後には、

友人にシェアされると、ブログの読者が増える
という文章が隠れていると理解している(重複になるので、削除されている)。

しかし、友人にシェアされると本当にブログの読者は増えるのだろうか?
自身でブログをやっているが、その経験からすると、フォロワーの多いツイッター民がシェアしてくれた場合は確かにブログの読者が増えるが、フォロワーの少ない人がシェアしてくれてもインパクトはほぼゼロに近い。そう自分は感じたので、ここに論理の飛躍があると感じた。

 

ブログの読者を増やすには → 記事のテーマをXX
と書かれているが、本当はブログの読者を増やすコツを書いてから、そのコツを満たすには記事のテーマをXXにする、という2段階ロジックにすると分かりやすいはずで、それを飛ばして1段階にしているのではないか、と。

 

【修正後のアウトプット】

以上を踏まえると、以下のように書いたほうが分かりやすいのではないだろうか。(構造化を本格的に図る前の、ラフスケッチとして下のようなものをイメージした)

 

ブログの読者を増やすには、共感・シェアのサイクルを産むことが大切

  • 記事に共感され、シェアされることで、読者が鼠算式に増える
  • 特に、SNS上で、フォロワーの多い人にシェアされると、飛躍的に読者が増える

共感・シェアのサイクルを産みやすい記事のテーマは、「特定個人の課題解決」

  • 例1)XX(特定個人の課題解決の例)
  • 例2)XX

 

ではまた明日!

 

 

 

100本ノックの実例1:「頭で理解する」と「できる」の差

前回のエントリーで、ロジカルシンキングの基礎を理解するための資料を共有した。当然のことながら、「頭で理解できている」ことと「実際にそれを実践できる」ことには非常に大きな隔たりがある(これはロジカルシンキングに限ったことではなく、非常に一般的な事だ)。このギャップを埋めるには、ロジカルシンキングを身に着けた人間からフィードバックを受けながらひたすら実践する形式のトレーニングが必須だと考えており、実際にJQ社内では「100本ノック」というトレーニングを行っている。

 

具体的には、資料の中に記載されているように、「構造化されたメモを書く」という事を毎日繰り返してもらう。構造化されてさえいればなんでもよく、文章のテーマ自体も自由に設定してもらって構わない。これは戦略コンサルファームなどで新卒アソシエイトがOJTの中でやらされる「メモ書き」を模したものであり、粘り強く取り組むことで一定の効果が出ることが実証されている。私もBCGに入社後、2年余りで間違いなく数百本はメモを書いている。どれほど構造化に習熟しても、「1:1」の時間が必要(つまり1時間の会議のメモを書くには1時間かかる)と言われるが、新卒で入社したての頃は1時間の会議に対して3時間くらいかかり、真夜中に四苦八苦した記憶がある。

 

さて、前述の基礎資料を読んで、頭で理解してもらった上で書かれたあるメモと、それに対するインプットを紹介しておこう。ちなみにこのメモを書いてくれた人は高学歴で頭もよく、資料は十分理解してくれていたが、それでも第1回目のメモは下記の通り質が低かった。これが、まさに「頭で理解できる」ことと「実践できる」ことのギャップであり、ねちねちとインプットを受けることで数十年の人生の中で頭にこびり付いてしまった思考の癖・垢などを少しずつ変えていく、非常に地味な努力が必要なのである。

 

【インプットを受ける段階のメモ】

 

緊急かつ重要な行動の後に、緊急ではないが重要な行動を選択していくと成果が上がる(A)

  • 緊急かつ重要な行動は、何よりも優先されるので真っ先に手が付けられる(B)
  • 緊急だが重要ではない行動は、掛けた時間に対して得られる成果は少ない(C)
     ・電話対応(D)
     ・無計画な飲み会参加(E)
  • 緊急でも重要でもない行動は、成果に繋がらないので選択すべきではない(F)

 

【インプット】

まず、基本に立ち返ると、構造化を行う目的は「分かりやすくするため」、もう少し具体的に書けば「(相手の)頭に入りやすい形に情報を整理するため」である。極論を言えば、MECEを理解しているか、グルーピングができているかなど、テクニカルなことはどうでもよく、分かりやすく文章が書けていればよいわけである。という観点から、「ぱっと読んですっと頭に入ってくるかどうか」はかなり重要である。

以上を踏まえ、まずは日本語の問題から指摘をしたい:

まず共通認識ができていない言葉を文章の中で使わない、これはコンサルタントとしては基本であり、逆に言えばすべての言葉をきちんと自分で定義できるという事は極めて大切である。という意味で(A)の文で「成果が上がる」とは何を指しているのか?どこにも説明されておらず、全体が曖昧な印象になってしまっていることにつながっている

 

また非常に細かい日本語であるが、(B)の文で、「行動に手を付ける」といういい方は不自然で、手を付けるなら行動ではなくタスクといった言葉になるのではないか。「日本語がそもそも書けていない」(ブログのエントリーにも書いた)という印象になるので、こういった部分は気を付けるべき。

 

次に、構造化という観点から行くと、一番の問題は、端的に言えばSo What?が成り立っていないことが致命的である。全体のメッセージである(A)を隠したときに、(B)~(F)の文章を読んで(A)を導けるのだろうか?難しいと感じる理由の一つは、メッセージでは「能動的に重要度を選択しろ」と書かれている一方で、サブメッセージ(B~F)では、4つの選択肢のうち、3つが消去され、受動的に選択する形となっている。これだけを見ても、(A)に「なぜ」と問うた答えが(B)~(F)というのは違和感がある。

 

その他突っ込みどころもたくさんあり、電話対応(D)は緊急だから大事なんではないのか、とか、無計画な飲み会(E)は本当に重要ではないのかといった事が気になってしまう。

 

緊急度と重要度で4象限に分けるという事でMECE感を出そうとしたところは評価できるが、結局構造化されている状態とは程遠い。

 

【修正後のアウトプット】

同じテーマで書き直すのであれば、以下のようにすると少し構造化された感がでる=分かりやすくなるだろう。何が違うのか、違いを十分味わってほしい。

タスクを緊急度と重要度の2軸で整理した時、判断が難しいものが2つある

  • 判断が容易なもの:緊急かつ重要、緊急でもなく重要でもないもの
  • 判断が分かれるもの:緊急だが重要でない、緊急でないが重要なもの

この時、重要度を重視し、緊急だが重要でないものをいかに簡潔に片づけるかが鍵

  • 「緊急」という理由だけで多くの時間を割いてしまいがち
  • しかし重要性が低い場合、本質的付加価値にはつながっていない
  • なので緊急でなくとも重要性の高いものにより多くの時間を割くことが大切

 

ではまた明日!

ロジカルシンキングの基礎資料

ロジカルシンキングの基礎を「とりあえず頭で理解する」ための資料を共有

ロジカルシンキングはあくまで思考法の一つであり、ツールに過ぎないが、それを空気を吸うがごとく自然にできるかどうかは、実際の仕事の質・生産性にかなり影響する。それは職種を問わず「真」だと思っており、例えば自分が日々よく接するシステムエンジニアでもロジカルに考える事ができる人とそうでない人で生産性に雲泥の差があると感じている。同時に、ロジカルに考えられる人であれば2倍、3倍の報酬を出しても一緒に仕事がしたいと思えるわけで、(他のビジネススキル・経験と合わせ)高度なレベルで身に着ける事ができれば、市場価値にも明確に反映されると思う。

 

という事を踏まえ、今勤めているJQという会社ではロジカルシンキングを習得するための社内トレーニングを実施しているが、そのトレーニング用に自分が作成した資料が下(会社の了承を得た上で公開)。

 

ロジカルシンキングの難しい点は、世の中にその手の本があふれていることからも分かるように、「頭で理解すること」はできても「自分で実践する事が極めて難しい」ことである(何もロジカルシンキングに限ったことではないが、、、)。下の資料は、とりあえず頭で理解する事を目的としており、それを実践できるよう体に叩き込むために、社内では「100本ノック」というトレーニングスタイルをとっている。実際には、習得の第一歩として構造化したメモをひたすら毎日書いてはフィードバックを受けるというトレーニングだが、思考の癖や日本語を矯正するのに2~3か月はかかるのが一般的だ。

 

下記資料を読んでもすぐには実践できるようにならないものの、シンプルにまとめられていると自負しているので、ご参考まで。